石原都知事の発言から。

東京都知事、現代美術を腹にすえかね(仏・リベラシオン邦訳?)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mcpmt/Liberation20060424.html
要するに、今東京都現代美術館で開催中のカルティエ財団所蔵現代美術コレクション展のレセプションにて、石原都知事が「暴言」(これを暴言ととるかは人それぞれだと思いますが)を吐いたという記事。
記事はフランス側に立って書かれているし、石原都知事も政治的意図もあっての発言だろうと思うし、なにより私はまだこの展覧会自体を見ていないので、その評価の指針があるはずもなく、この発言について意見をいうことはできないのですが。
考えたのは、美術がどのように楽しまれるべきかということ。
「説明を要する美術は価値がない」という言説はどこから生まれるのか、ということ。


別に作品や作者のことを全部理解しなきゃいけないということはない。
つまり、美術を見て、「つまんないな」とか「よくわかんない」とか、そう思うことを否定したくないと思うのです。
それを「教養がないからそう思うんだ」とか決め付けないでほしい。
「説明を要する美術」という範疇は、「美術作品はわからなくてはならない」という観念があるから生じるものなのでは?
あるいは「教養があればわかるはず」という信念。
そもそも印象派にしたって日本画にしたってその作品を「わかる」ことなんてことはないと思うので、美術を楽しむという点において「わかる」ことは必要ではないと思うのです。
都知事が果たしてあの場で、都知事という立場として言うべき発言だったかは別として、ただ彼の今回の発言は、美術はどんな人たちに享受されるべきで、その人たちにどのように紹介していくかということを改めて考えるきっかけになったかなと。
まあどんな人たちにどのように、なんてことは美術館系の学者の皆さんや美術館関係者の皆さんが日夜考えていらっしゃることなのであえてここで一介の趣味人が考えることでもないのですが。


ちなみに問題の発端となった展覧会は、東京都現代美術館で7月2日までやってますので気になった方は行ってみるといいかもしれません。
http://www.mot-art-museum.jp/kikaku/74/
私もそのうち行きたいYO!!